【松下村塾の四天王】 久坂玄瑞 【草莽の志士】


高杉晋作と並ぶ松下村塾の双璧

来年の放送が待ち遠しい、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」。
主人公、文の最初の夫となる「久坂玄瑞」についてお話したいと思います。
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天保11年(1840年)萩藩医 久坂良迪と富子の三男として誕生しました。
兄、両親を早くに亡くしたため15歳の若さで家督を継ぐこととなります。
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松陰がもっとも期待した弟子

17歳の時、松陰の親友であった宮部鼎蔵を訪ねた際、吉田松陰に学ぶことを奨めらます。
そこで初めて生涯の師となる松陰の名を耳にするのです。
そしてその後、幼馴染の高杉晋作を誘って松下村塾に入門します。

松陰は玄瑞を「防長第一流の人物」と高く評価し、高杉晋作と争わせて才能を開花させるようつとめました。
そうして高杉晋作とともに「松下村塾の双璧」、吉田稔麿を加えて「村塾三秀」、さらに入江九一を加えて「松門四天王」といわれるまでになったのです。
さらにその年、松陰の勧めにより玄瑞は松陰の妹・文と結婚したのです。

容姿端麗な秀才

「花燃ゆ」ではイケメン俳優東出昌大さんが演じますが、玄瑞本人も長身で容姿端麗の美男子だったそうです。
身長は六尺(約180cm)ほどの長身で、声が大きく美声。
そんなが玄瑞詩を吟じながら鴨川を歩くと、河畔の店から女性たちが顔を出して「長州の久坂さん」だ、と騒然るほどだったそうです。
幕末の色男といえば新撰組副長土方歳三が有名ですが、土方歳三よりも人気が高かったようです。

そして彼の詩吟は「久坂流」として現代にまで受け継がれています。
師である吉田松陰の評価がもっとも高かったというのは先述のとおり。

容姿端麗な秀才、非の打ち所のない人物だったのです。

尊王攘夷運動を牽引

安政五年(1858年)、安政の大獄が起こり、師であった松陰が刑死することとなります。
これを契機に玄瑞は、松陰の遺志を継ぐかのよう長州尊攘運動の先頭に立ち、藩論の攘夷転換に力を尽くすこととなります。
松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」論を基に、諸藩の「草莽」の志士たちの横断的な連合組織を構想し、他藩の志士たちとも精力的に交流していきます。

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こうして攘夷運動を進めていた玄瑞でしたが、「禁門の変」(または「蛤御門の変」)で同じ松下村塾塾生である寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃します。享年25歳でした。
親友であった高杉晋作は玄瑞の死を受け入れることができず、夢に見るほどだったそうです。

多くの幕末の志士に影響

玄瑞の思想と行動力は長州藩以外の志士たちにも影響を与えました。
武市瑞山などは頻繁に玄瑞と連絡をとり、この影響で武市は「土佐勤王党」を作ったと言われています。
さらにまだ無名の土佐藩士だった坂本は武市の使いで玄瑞に会い、その影響で脱藩したといわれています。
西郷隆盛は明治後、長州の客人を見る度に「お国の久坂さんが生きておられれば私のような者がこのような大きい顔をしていられません」と言った程です。
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