【花燃ゆ人物紹介】 前原一誠


至誠にして動かざる者、未だこれあらざるなり

前原一誠

前原 一誠(まえばら いっせい) : 佐世 八十郎( させ はちじゅうろう )

前原一誠は、安政 4 年( 1857 年)に高杉晋作、久坂玄瑞とともに松下村塾に入門します。
その時に吉田松陰は一誠をこう評しています。

「その才は久坂に及ばない、その識は高杉に及ばない。 けれども、人生完全なることは両名もまた佐世に及ばない」

「勇あり、智あり、誠実人に過ぐる」

吉田松陰のもとで学んだのはわずか 10 日間と短い期間でしたが、松陰の「至誠にして働かざる者、未だこれ有らざるなり」という言葉に感動し、名前を 前原 一誠 と改名します。一誠は松陰のもとで「仁政」人に対して優しい政治を学びます。

その後、明治元年( 1868 年)の戊辰戦争で活躍した一誠は、越後判事(新潟県知事)に任命されます。ここで年貢の半減や頻繁に氾濫する信濃川分水工事を計画するなど大胆な仁政を行いました。
しかし、信濃川の工事については新政府の了解を得ることができませんでした。もともと身体が丈夫でなかった上に、新政府の方針と合わなかった一誠は、病を理由に萩に引きこもってしまいました。

萩に帰郷した一誠は自らの将来に不安を抱く故郷の同志たちのために、明治 9 年( 1876 年)に奥平謙輔とともに不平士族を集めて「萩の乱」を引き起こしましたが、わずか 3 日間で鎮圧され萩にて処刑されてしまいます。

松下村塾の塾生のなかでは「萩の乱」の首謀者ということで、なかなかスポットの当たることのない前原一誠ですが、とても優しい、思いやりのある人だったようです。
死後、恩赦で従四位が贈られています。


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