浜崎エリア

しろ魚ロード

2月下旬から4月上旬にかけて行われる「しろうお漁」。 四つ手網を広げて行う漁の姿は、萩の春の風物詩となっている。


常念寺

毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした寺。 表門は、もともと京都の聚楽第(じゅらくだい)の裏門として建てられたものを輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633(寛永10)年に移築した。


長寿寺

浄土宗西山禅林寺派の寺で、山号は涼松山という。 奈良時代に造られた木造の不動明王は、県指定重要文化財にも指定されており、長い間人々の信仰を集めている。


亨徳寺

開創は享徳元(1452)年。 道路に面して立つ木造の荘厳な三門は、元禄8(1695)年に建立されたものと伝えられている。


海潮寺

本堂は、藩校明倫館の遺構である聖廟を明治8(1875)年に移築、現在もそのまま使用されている。 藩校の面影が偲ばれる貴重な史跡である。


泉福寺

浄土真宗本願寺派の泉福寺は、幕末に松下村塾で数多くの勤皇の志士達を輩出した吉田松陰先生の菩提寺です。 本堂うしろの位牌堂には、松陰先生の石膏像とともに位牌が安置されています。


菊ヶ浜土塁(女台場)

菊ヶ浜土塁,女台場

文久3(1863)年5月、長州藩が攘夷決行として関門海峡を通過する外国船を砲撃する事件があった。 しかし、却って戦艦をはじめ付近の民家まで大損害を被った。 この事件をきっかけに、萩の住民の間にも「自らの手で城下を守ろう」 …


岩倉獄跡

藩政時代の獄屋敷で、岩倉獄は下牢として庶民を収容した所。 吉田松陰の従者で、松陰ともに海外密航を企て失敗した金子重輔は岩倉獄に投じられました。


野山獄跡

正保2年(1645)9月夜、酒に酔った大組藩士禄高200石・岩倉孫兵衛が道ひとつ隔てた西隣りの同じく大組藩士禄高200石・野山六右衛門の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こった。 藩は野山宅に岩倉を幽閉し、後に …


梅屋七兵衛旧宅

梅屋七兵衛は幕末の商人で、代々浜崎町で北国問屋を営む家に生まれ、七兵衛の代には酒造業を始め、藩の武具方の用達も行っていた。 木戸孝允などの志士と交流があり、藩の密命を受け、命がけで長崎に鉄砲千丁を買い付けに行き、戊辰戦争 …


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